未来のデザイナーを支援する松屋銀座 入賞作品を百貨店で販売
業界が発展するためには、目先を追うだけでなく、先を見据えた人材の育成や発掘も欠かせない。松屋銀座本店は、今年で31回目を迎えた「台東区ザッカデザイン賞コンペティション」の選考に2010年から参加し、バイヤーが選ぶ「松屋銀座賞」で商品化と松屋銀座での販売権利を提供している。このコンペティションは、レザーグッズや帽子など、服飾雑貨の製造を行う企業が多く集まる台東区が、ファッション業界を志す若者の応援を目的に開催。昨年の第30回は、当時高校2年生の湯野拓也さんが松屋銀座賞を受賞した。作品は、ポケットチーフにもなるユニークなレザー製名刺入れ「Kouiumonodesu(こういうものです)」。これを商品化し、9月30日~10月6日、松屋銀座5階の紳士売場で販売している。3日には湯野さん本人も店頭で販売を行った。
■未来を担う若者に体験してもらう機会に
台東区ザッカデザイン賞コンペティションは、台東区地場産業の活性化を目的とした「台東ファッションザッカフェア」の一環として行われている。選考に携わる紳士雑貨担当バイヤーの木村麻里さんは、「『未来を担う若者のアイデアを商品化できる機会となり、商品化や販売も含めて体感してもらいたい』という想いから、当店も参加するようになりました」と経緯を語る。
賞は「大賞」、各部門の「最優秀賞」などがあるが、販売の権利まであるのは松屋銀座賞のみ。松屋銀座は1955年に日本デザインコミッティーと立ち上げた売場「デザインコレクション」を7階に擁するなど、昔からデザインの発展に力を注いでいる。店舗での商品の展示・販売は、デザイナーへの支援に加えて、モノづくりに込められたこだわりや情報を発信する機会にもなっている。
松屋銀座賞では、商品化・販売が前提にあるため、「実現しやすさ」と「松屋銀座の紳士売場とマッチするか」が重要な基準となる。Kouiumonodesu(こういうものです)はその2点で優れていたのに加え、人目を引くような見た目と用途のユニークさが受賞の決め手となった。
関わる中で学ぶこともあるという。百貨店の社員の業務は、完成した商品を仕入れてからがメインで、いちからモノづくりに関わる機会はあまり多くない。入賞作品は台東区周辺のメーカーの職人が主となって製作するが、受賞者と松屋のバイヤーも参加する。「本当に細部に至るまで職人さんがこだわって作っていることがわかり、私も非常に勉強になりました」(木村さん)。
今秋には第31回を開催。9月30日で応募を締め切り、受賞者の発表は12月頃を予定する。木村さんは「最近はコロナ禍によって人と直接会う機会が減っていますが、やはり顔を合わせて話すことも大事だと感じます。受賞する方にとってもお客様にとっても、この賞がそうした役割の一端となれば」と想いを語った。
■問題解決に繋がるようなデザインを目指したい
湯野拓也さんにも話を聞いた。湯野さんは都立工芸高校に通う高校3年生。今年の5月には友人の石田翔梧さんと、コロナ禍で働く保育施設や区役所の人に向けてマスクを制作、寄付して話題となった。
――モノづくりを志すようになったきっかけを教えてください。
小さいころから物を作ったり、絵を描くことが好きでした。ある時、僕の落書きがきっかけで友達との会話が弾んだことがあり、それからは自分の作ったものが、人のコミュニケーションを広げる存在になったらいいな、と思うようになりました。そうしてデザインの道を知り、今の高校への進路を決めました。デザインについて知るうちにどんどんのめり込み、今ではすっかり夢中になっています。
――今回の受賞作品、「Kouiumonodesu」はどのように出来上がったのでしょうか。
デザインだけでなく、アイデアにも工夫を凝らしました。スーツを着て働いている方たちの格好が皆似たように感じられたので、「もっと個性を感じられるようなアイテムがあってもいいのでは」と思い、そこからKouiumonodesuが生まれました。
――受賞された感想を教えてください。
最初に受賞の連絡を聞いたのは修学旅行の最中で、聞いた瞬間はものすごく驚きました。松屋銀座賞ということは後日知ったのですが、その時も嬉しいというよりも、自分の作品が選ばれた驚きの方が大きかったです。
コンペの入賞は今まで何度かありましたが、商品化まで関わったのは初めてで、貴重な体験になりました。革製品は学校でも扱ったことがなかったため、元のデザイン画だと皮革の〝厚み〟の点で、実現が難しい部分がありました。そのため実際の商品は、マチを薄くしたり、チーフのデザインを少し変えたりと、デザイン画から変更した部分もあります。これはメーカーの方が提案してくださったのですが、非常に勉強になりました。
――湯野さんは今年5月に、マスクを制作して寄贈されたそうですね。
はい。日本中が大変な状況でしたが、その中でも最前線で仕事をしている方は、当時品薄だったマスクを買ったり、自分で作る元気もないのではないかと考えました。別の高校に通う友人の石田くんとは、以前からよくお互いの授業や課題について話をしていたんです。それで石田くんに相談し、2人で作ることにしました。制作中は学校の課題等もあって中々大変だったのですが、後にお礼の言葉を頂いたりして、やってよかったと思いました。
――将来の夢は何でしょうか。
「問題解決としてのデザイン」を実現できるようになりたいと思います。デザインを目指すきっかけとなった出来事もそうですし、先のマスクも、口元が見えない状況でも口角が上がって見えるように考えてスリットを入れたりといった工夫をしました。今はいつもデザインのことばかり考えているほど、とにかくデザインが好きで、いずれは世界一のデザイナーになりたいと思っています。
デザインについて熱心に語ってくれた湯原さん。3日に立った店頭では、多くの人が足を止めてKouiumonodesuを見ていた。松屋銀座が、未来のデザイナーの第一歩となる〝ハレの場〟を提供した1日だった。