松屋浅草、90周年フックに繋がり強める「身近な百貨店」
松屋浅草は、今から90年前の1931年(昭和6年)11月1日、東京で最初のターミナルデパートとして、東武鉄道の浅草駅(当時・浅草雷門駅)のある駅ビル開業した。2010年に地下1階、1階、3階の3フロア体制(売場面積約7400㎡)に集約されたものの、90年に亘り培ってきた「身近な百貨店づくり」は、東京で最小のターミナルデパートでありながらも、コロナ禍を通じ「人と街と繋がる『浅草の百貨店』」として独自の存在価値を高めている。
食のデリバリーが「御用聞きサービス」に派生
2010年に3フロア体制に集約し、「マイタウン、マイストア」をストアコンセプトに掲げ、「地域の身近な百貨店づくり」に注力してきた。コロナ禍の環境変化を機に、いわゆる「マイタウン・マイストア」戦略が奏功した格好だ。2022年2月期第2四半期(3~8月)の売上高前期比は69.1%増となり、東京地区百貨店の平均伸長率(23.6%増)を大幅に上回った。観光エリアに立地しており、それだけ前年のコロナ禍の影響が大きかった証しでもあるが、ただ入店客数は35%増の回復度にとどまっている。にもかかわらず7割近い伸長率を記録したのは、言うまでもなく客単価が約2割も伸びたためだ。この原動力が、継続してきた「身近な百貨店づくり」と開店90周年をフックにした営業施策であり、換言すると90年間で培ってきた地域顧客との深いつながりだ。
松屋浅草は、地下1階「浅草ごちそう横丁」と1階「浅草すいーつ小町」を中心にした食品が、売上高の約7割を占める。近隣の「馴染み客」が多く、「マイタウン・マイストア」戦略の基軸となるMDだ。
今年6月8日から食品売場を対象に開始した「デパ地下グルメお届け便」は、この戦略を具現化したサービスだ。実は「コロナ禍前からお馴染みのお客様に対して提供していたデリバリーサービス」(浅草店営業部営業一課長鈴木章浩氏)に端を発する。バイクや自転車による荷物の当日配送を手掛けていた㈱アジットと提携して、生鮮や弁当・惣菜、グロサリーなど、デパ地下の食材を電話で注文する(店頭で買上げ商品も含む)と、最短1時間で指定場所に届けるサービス(クレジットカード決済)。ポイントは台東区と墨田区の近隣商圏限定と、オンラインではなく電話注文で対応している点で、オンラインに不慣れな馴染み客の利用を想定しているからだ。
開始当初の対象品目は28ショップ、42種類だったが、8月に「デパ地下グルメお届け便」のカタログを作成し、顧客の声をベースに124種類まで増やした。配送もバイク便に加え、もう1社と提携して、車で配送できるようにした。「今では電話やLINEWORKSで、お客様の好きなものを注文していただける御用聞きサービスまで発展している」(鈴木氏)という。
現在、デパ地下グルメお届け便の利用件数は、平日で平均7件前後だが、「七五三お祝い」など歳時記シーズンになると需要が急増する。1件当たりの購買単価も高く、伝統的な食文化を大事にする地域性が顕在化する。加えて、2世代あるいは親子孫3世代といった家族構成が多く、近所付き合いを大切にする地域特性も垣間見える。
もの繋ぎプロジェクトが「福袋企画」まで進展
身近な百貨店づくりと地域とのつながりの深さは、今年10月27日から11月2日まで開催した「90周年記念祭」でも発揮された。浅草ごちそう横丁や浅草すいーつ小町に出店しているショップとの協業によって、数多くの特別企画や限定品を販売し、さらに1階催場では浅草で人気店や名店が期間限定出店し、「レストラン大宮」など名店の人気メニューの弁当も販売した。この催場には、浅草の魅力を発信するために今年2月からSNSで始まった「浅草もの繋ぎプロジェクト」に参加した名店や人気店も出店した。「スパイススペースウガヤ」、「仲見世履物さんえす」、「ケーキショップテラサワ&アトリエダイジロー」、「どぜう飯田屋」が出店し、加えて「呑匠ZONO」(高菜・明太子など)、「手ぬぐいふじ屋」、「宮本卯之助商店」(おまつり関連品)が日替わりで出店した。
「浅草もの繋ぎプロジェクト」は、銀座の老舗和菓子店「木挽町よしや」の斉藤大地氏がコロナ禍で始めた「銀座もの繋ぎプロジェクト」の派生版。発起人は浅草で人気のスパイスカレー店「スパイススペースウガヤ」のオーナー、宇賀村敏久氏。浅草生まれで、三社祭や金龍の舞などに深くかかわってきた。同プロジェクトは、物々交換で「もの」を繋いで、店と人、そして浅草の魅力を伝えながら、大きな助け合いの輪を作り、大きな力にしていくために始めた。SNSで伝統ある浅草の名店や将来を担う次世代の活動を紹介している。言うまでもなく松屋浅草は銀座店と同様に全面的に協力している。因みにスパイスカレー店は松屋浅草に出店している。
浅草もの繋ぎプロジェクトは、2022年福袋の90周年記念企画にまで繋がった。取引先のコラボレーションによって浅草の魅力がつまった「昼浅草」と「夜浅草」の2種類を企画した。昼浅草には、とらや手土産(2名分)、人力車の浅草周遊(30分)、浅草花やしきの入園とのりもの3回券(2名分)、東武鉄道の浅草駅開業90周年記念ノベルティと台東・墨田東京下町周遊きっぷ(2名分)と、駅長体験応募券(抽選)を詰め合わせた。1万7000円相当を1万4300円で、30袋を販売する。
夜浅草には、昼浅草と同じくとらや手土産、人力車、東武鉄道(浅草駅開業90周年記念ノベルティと台東・墨田東京下町周遊きっぷ2名分)に加え、アサクサミハラシカフェの1時間貸切(ワンドリンク付、持ち込み可)を詰め合わせた。35000円相当を22000円で、5袋を販売する。共に12月9日から店頭並びに電話で予約販売を開始する。人と繋がり街を巻き込んで織り成す「浅草の身近な百貨店」だからこそできた福袋企画と言えよう。
「浅草ご婦人倶楽部」を再開
一方、食品以外の婦人ファッションや雑貨でも、独自の「マイタウン・マイストア」戦略に取り組んでいる。その象徴のひとつが12月8日(水)に近隣の浅草東武ホテルの3階「シーズンズレストラン壱之壱」(午後12時30分~2時30分)で開催する「浅草ご婦人倶楽部」である。食事会やお楽しみ抽選会で、会費は3000円(税込)で、定員30名。今回で18回目を迎えた。コロナ禍以前の2017年春から年間4回開催していたが、昨年はコロナ禍ですべて中止。今年も夏まで休止していたが、「お馴染みのお客様からの要望が多く、9月に再開した」(営業部営業二課兼MD担当バイヤー深川拓也氏)。
参加者の多くが、同店の馴染み客や各ショップの固定客。いわば「お顔が見えるお客様」(深川氏)である。倶楽部と言っても年会費があるわけではなく、その都度、参加費を募る形式。会場の規模によるが定員は30名から、最大で50名程度。菓子類などの手土産とお楽しみ抽選会の経費がかかるとはいえ、それ以上の価値がある。こうした馴染み客と寄り添えるコミュニケーションは、松屋浅草にとって生命線だ。「ヒト」を基軸とした同店ならではの「マイタウン・マイストア」づくりの屋台骨なのである。
参加者応募告知は、松屋のスタッフや各ショップの販売員からの声掛けや電話が中心だったが、9月の再開からは今年7月から導入したLINEWORKSを活用している。深川氏を含め営業2課スタッフ6名で、11月時点で約400名と繋がっている。もちろんLINEを使用しない年配の馴染み客には引き続き電話で対応しているが、これを含めると約500名を数える。
深川氏は百数十名とLINEで繋がっているが、「最初の頃は返信するのが大変だった」というが、貴重なコミュニケーションツールと化した。来店時のアテンド対応や銀座店からの取り寄せ商品の販売などのツールにもなる。そして何よりも「お客様の意見や要望がダイレクトにわかるため、お客様の関心事に応じた関連購買や新しい提案ができる貴重なマーケティングツールになっている」。身近な百貨店づくりには欠かせない、ワン・トゥ・ワンマーケティングのツールと化しつつあるわけだ。LINEWORKS効果を体感できており、1年間で約1000名まで増やしていきたい意向だ。もちろん食品売場を運営する営業一課も活用しており、馴染み客との繋がりの輪は着々と広がりつつある。
顧客がモデル、手作りのファッションショー
また、婦人ファッション売場では90周年記念祭でトークショー形式による「冬のおすすめスタイリングファッションショー」を開催した。百貨店にとって目新しいイベントではない。が、2014年秋から春と秋感謝祭並びに11月の開店記念祭で毎年開催しており、馴染み客に響く恒例企画と化している。毎回10ブランド前後が参加する。20年はコロナ禍で開催できなかったが、今年から再開した。モデルは主に各ショップの販売員だが、馴染み客も参加するようになった。トークショー形式で行い、司会は深川氏が務める。今回の記念祭ではピンク色のスーツを纏った。これも顧客と繋がるための貴重なコミュニケーションツールであり、マイタウン・マイストアならではの手作りのファッションショーだ。
百貨店ではミセス向け婦人服が低迷しているが、松屋浅草では馴染み客との繋がりが深いショップは堅実な実績で推移している。このファッションショーも、ご婦人倶楽部も、要は「顔と名前が一致するお馴染みのお客様を増やすために、お客様の声を聞き続け、実践できるシンプルなことを積み上げてきた」(深川氏)イベントだ。
顔と名前が一致する馴染み客からの声をヒントに様々なイベントやサービスが生まれ、品揃えにも反映する。商いの基本であり、繰り返し続けなければならない当たり前の地道なことだが、これが百貨店運営だ。中小規模百貨店であれば、なおさら大切な要諦だろう。松屋浅草の「身近な百貨店」づくりの生命線であり、90年に亘り脈々と受け継がれているDNAに違いない。