2024年11月19日

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なぜ「お菓子食べすぎ会社員」は10万人に支持されるのか 大丸松坂屋百貨店の“中の人”に聞く

大丸松坂屋百貨店は明確なプロセスを描き、戦略的にインフルエンサー事業を推進する=大丸松坂屋百貨店提供

新規事業を次々に立ち上げる大丸松坂屋百貨店で異彩を放つのが、インフルエンサー事業だ。文字通り今や消費に大きな影響を与えるインフルエンサーを、社員から育成する。その第1号が「お菓子食べすぎ会社員」。現在は今年1月に投稿を始めた動画共有アプリ「TikTok(ティックトック)」を主戦場としており、フォロワーの数は約9万8500(9月12日時点)に上る。企業からはタイアップの依頼が届くようになり、8月17日にはモロゾフと協業したオリジナルの商品が発売された。事業の収益化へ着実に前進するとともに、大丸松坂屋百貨店のブランディングへの貢献度も高い。なぜ、百貨店がインフルエンサー事業に乗り出したのか。なぜ、お菓子食べすぎ会社員は10万人近くに支持されるのか。インフルエンサー事業のエグゼクティブプロデューサーを務める岡﨑路易本社経営戦略本部DX推進部専任部長と、野﨑瑞穂本社経営戦略本部DX推進部デジタル事業開発担当に尋ねた。

「TikTok」の動画の1つだが、この表情と「オフィスで」が人気の理由=大丸松坂屋百貨店提供

――インフルエンサー事業に着手した経緯を教えて下さい。

岡﨑 小売業の立場からすると、以前は「場所」が最も大事でした。「何かしらある」、「何かしらやっている」といった場所として、リアルビジネスは成り立っていました。しかし、新型コロナウイルスの感染が拡大すると一変。消費者が見る先や情報を得る先が変わったのです。端的に言うと「人が発信していく時代」です。芸能人が次々に「YouTube(ユーチューブ)」を始め、企業もライブコマースにチャレンジし、人が価値伝達の主役になっていくと感じました。

当社も「ヒューマンメディアカンパニー」を掲げ、2021年度(21年3月~22年2月)以降、ショールーミングストア「明日見世」、アートのオウンドメディア「アートヴィラ」、化粧品のメディアコマース「デパコ」などの新規事業を立ち上げてきましたが、いずれも人を核に独自の価値を伝達していくビジネスモデルです。そして、(消費者へ)最も直接的に切り込むのがインフルエンサー事業です。

インフルエンサー事業のエグゼクティブプロデューサーを務める岡﨑路易本社経営戦略本部DX推進部専任部長=大丸松坂屋百貨店提供

――インフルエンサーを育てる上では、人材の問題が横たわります。百貨店業界は数年来、構造改革を推し進めており、社員の数が減る反面、一人一人の業務は増えるという状態です。必然的にスペシャリストよりもゼネラリストが多くならざるを得ず、スペシャリストとしての側面を持つインフルエンサーをゼロから育てるのは難しいのではないでしょうか。

岡﨑 私は2004年入社ですが、全員が販売からスタートしましたし、研修などで「(販売員は)自動販売機ではない」と厳しく言われて育ってきました。ゆえに、まだまだ社員にはインフルエンサーとして求められる力があると思っています。2世代くらい経つと、どうなるか分かりませんが(笑)。

――明日見世やアートヴィラ、デパコなどの現状から、人を核にした独自の価値の伝達に可能性を感じますか。

岡﨑 人を中心に据えても、着目されなければ集客や売上げにはつながりづらいと捉えています。お菓子食べすぎ会社員は、まず認知を最大限に広げたからこそ成功しました。その先にマネタイズがあります。

百貨店は都心の一等地に店舗を構えています。ウェブサイトで言い換えれば、億単位のページビュー(PV)に当たります。しかし、リアルでの強みはインターネットビジネスで通用しません。都心の一等地どころか離島から始めているという認識が必要です。明日見世には展示する商品に精通する「アンバサダー」を、デパコにはブランドを横断して提案する「ビューティーアドバイザー」を配していますが、その認知が先でした。アンバサダーにもビューティーアドバイザーにも、知見やインフルエンサーに必要な“偏愛力”はありますが、認知が足りません。

――お菓子食べすぎ会社員が成功した要因は何でしょうか。

岡﨑 (パーソナリティや演技力などを含めて)野﨑の力ではありますが、チームが重要です。再現性を重視し、1人で背負うのではなく、企画の立案などを担うプロデュースチーム、動画を撮影するクリエイティブチーム、企業に売り込みPRの依頼を引き出す私で、役割を分担。動画のクオリティや拡散力に直結するクリエイティブディレクターは外部から迎えました。キーワードは「異分子結合」です。クリエイティブチームは3人、プロデュースチームも3人で計6人ですが、動画を投稿すると全員がチェックするくらい、クライアントワークの枠を超えたチームとして機能しています。

――組織化で“野﨑さんありき”を防ぎ、事業としての再現性や継続性を保つのですね。

岡﨑 もう1つのポイントは、フォーマットの確立です。野﨑が走って現れ、お菓子を食べて“変顔”を披露する――大半の動画が、このスタイルです。分かりやすく、定着しやすいと考えました。

――そもそも、なぜ「お菓子」に特化したのでしょう。

野﨑 お菓子は小さい頃から大好きでしたが、“隙間”を狙いました。昨夏にチャンネルを開いたユーチューブが振るわず、ティックトックへの投稿を決めたのは昨年の12月中旬頃でしたが、当時は「大企業の社員」というシチュエーションが少なかったですし、お菓子に関する動画は多いものの、いわゆる「顔出し」はほとんどなく、「大企業の社員がオフィスで好き勝手にお菓子を食べる」という内容に決めました。1カ月くらい話し合ったと記憶しています。1回撮影して改善案を出し合い、今年1月にスタートしました。以降も大枠は統一されています。

「お菓子食べすぎ会社員」こと野﨑瑞穂本社経営戦略本部DX推進部デジタル事業開発担当=大丸松坂屋百貨店提供

――野﨑さんのコミカルな言動に「会社員なのに」、「オフィスなのに」といったギャップが相乗され、ティックトックでは動画の再生回数やフォロワーが爆発的に増えています。ご自身のキャラクターとのギャップなどはないですか。

野﨑 (走ってきて、お菓子を紹介し、時に変顔を見せながら豪快に食べるという一連の言動は)実は、自分らしい姿です(笑)。素に近いと思います。私はポイントを「会社員なのに」というギャップだと認識しています。「(会社員なのに)あえてオフィスでうとうとしてみよう」など、動画の内容は攻められるだけ攻めたい(笑)。世間の「百貨店はハードルが高い」というイメージを変えたかったのです。

岡﨑 もう少し手の内を明かすと、成功の方程式は「テーマ設定×フォーマット×演者の能力」と「独自性×トレンド」です。フォーマットは説明しましたが、テーマ設定は「お菓子」、独自性は「演者の強み×ティックトックの特徴」。お菓子は「コスメ」などにも応用できますね。独自性は「女性会社員が爆食いする」、演者の強みは「会社員」、ティックトックの特徴は「ユーザーの65%が女性」、トレンドは「Vlog」と表せます。いずれも分析の結果であり、再生回数やフォロワーを伸ばすためには、それが欠かせません。意外と戦略的なんですよ(笑)。

SNSは何を使うか、どう属人化を防ぐかなど、緻密な分析とアクションが成功の秘訣=大丸松坂屋百貨店提供

野﨑 チームの一体感も大事です。投稿の質や速さが違ってきます。我々には何でも言える一体感がありますよ。

――印象的なエピソードはありますか。

野﨑 (硬い菓子を食べて)歯が折れたことと、動画に登場するうちに部長(岡﨑氏)が認知されてきたことです。私以外が認知されると、見ている人やアカウントの“世界”が広がる効果があります。フォロワーの関心が他にも向けば、寄せられるコメントが増え、フォロワーは“住民”と化し、ある種のコミュニティが形成されていくので、まさに世界の広がりです。動画内で身に付けるモノも大事です。それもコメントにつながりますからね。

――女性の投稿者はフォロワーが増え過ぎると、トラブルの危険性が高まります。心配や不安はないですか。

岡﨑 フォロワーの約8割が女性です。しかも、幅広い年代に支持されています。一方で、有名になった社員をどうフォローするかは(インフルエンサーとして)1人目だからこそ悩ましいです。視聴者と会える場が増えていくと、写真はOK? 握手は? なども考えなければなりません。

野﨑 ユーチューブのチャンネルを運用していた時は大変でしたが、今は順調です。

――ティックトックで最も再生された動画、逆に視聴者に刺さらなかった動画は何ですか。

野﨑 挿して牛乳を飲むと味や香りが変わるストロー「クイックミルク」の動画が最も再生されており(取材時、9月5日時点での最多は別)、200万回を超えています(取材時、9月5日時点では240万回)。Z世代に「懐かしい」と言われ、バズりました。クリエイティブチームは誰もクイックミルクを知らなかったので、とても驚きました。これまでで最もおいしかったお菓子の動画が最も再生されていないのも皮肉です(笑)。視聴者にとって大事なのは、お菓子の味ではないと分かったからこそ、私は「お菓子をどれだけ楽しめるか」を追求しています。

――フォーマットを守るのは前提として、今後は何にチャレンジしたいですか。

野﨑 「出張コンテンツ」として、各地のモノを面白く紹介できたらと考えています。フォロワーは全国にいますからね。

――百貨店業界で最初のインフルエンサーと言っても過言ではないと思います。後進に助言するとしたら、何でしょうか。

野﨑 僭越ながら「目的」が大事です。目的がインフルエンサー事業なら「面白いコンテンツを制作する」。目的を明確化して、ブレないようにするべきです。「フォロワーを集めたい」なら、投稿する写真や動画が“商品”になります。それを面白くするのが大事です。写真や動画で紹介した商品が売れたかどうかは、タイアップ以外では関係ありません。そこを誤解すると、上手くいかないのではないでしょうか。

属人的には「フィジカル」が重要です。「仕事が忙しいのに動画をアップしてくれてありがとう」というコメントが届きますが、(見られる側として)睡眠時間の確保や美容などの自己管理は徹底しています。

――今更ですが、応募動機は何ですか。インフルエンサー事業としてではなく、新規事業の担当者の社内公募だったそうですが。

野﨑 締切の前日に書類を送りました。当時の部署(大丸東京店の食品部、菓子のイベントの運営や新規取引先の開拓を担当)に愛着はありましたが、手掛けたあるイベントで「自分は新規事業をやりたいんだ」と分かり、迷った末に応募しました。

――野﨑さんを抜擢して正解でしたね。

岡﨑 彼女だからこそ、インフルエンサー事業はPDCAを回せました。社内インフルエンサーの育成が第1段階、社内インフルエンサーをけん引役に社外のインフルエンサーも活用して企業からPRの案件を獲得する「インフルエンサーマーケティング事業」が第2段階で、そこまでは到達しましたが、さらなる量的拡大を検討中です。

社外のインフルエンサーのプラットフォーム、エージェントを担うのが短期的な目標ですが、ほかにも良い方法がないか悩んでいます。例えば、野﨑以外にも会社員のインフルエンサーが増えてきたため、当社が取りまとめ、企業に限らず「大阪・関西万博」や公共事業の案件を獲得する。行政系とのタイアップに可能性を感じます。いずれにせよ、インフルエンサーを介したビジネスを展開していきます。

短期的な目標は「プロダクション・エージェンシー」。つまり、社内外のインフルエンサーをまとめ、企業から案件を獲得し、収益を生み出していく=大丸松坂屋百貨店提供

――案件では、野﨑さんをはじめ4人のインフルエンサーが「世界辛記録」のハッシュタグを付け、韓国で話題の超激辛インスタント麺「ブルマワン」をPRする動画を投稿しましたね。事前に「100万回の再生が目標」と語っていましたが、達成できましたか。

岡﨑 140万回を超え(取材時、9月5日時点では約210万回)、トップは野﨑で約82万回です(取材時、9月5日時点では約110万回)。

――野﨑さんよりフォロワーが多いインフルエンサーを差し置いての1位は立派ですね。もはや“独り立ち”と言っても過言ではない影響力ですが、社内で2人目、3人目のインフルエンサーの育成については、いかがでしょうか。

岡﨑 未定ですが、当面は「ビューティー」や「ライフスタイル」との三本柱を目指します。いずれは四天王にして、社外のインフルエンサーも抱えながら、BtoBを事業化したいですね。モロゾフさんからコラボレーション商品の開発を依頼され、野﨑はインフルエンサーとして一通り体験しました。(取材時で)ほかにも2件のオファーがあり、クリスマスや年末年始、バレンタインデーのコラボは埋まるかもしれません。

まさに嬉しい悲鳴ですが、ミニマムで運営してきたチームの拡充も今後の課題です。とはいえ、「お菓子食べすぎ会社員」が広告を用いない“オーガニックな成長”を続けてきたのは誇れますし、新たに始めたインフルエンサー事業の検証も、すでに3分の2は済みました。残るは量的拡大です。

(聞き手:野間智朗)