2024年11月19日

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【連載】富裕層ビジネスの世界 資産フライトした海外から帰りたがる富裕層をサポート

Photo by Peter Nguyen on Unsplash

日本に帰りたがる富裕層

「こちらでの生活にも限界を感じてきた。そろそろ日本に戻りたいんだが…」

新型コロナが猛威を振るう前、シンガポール在住の富裕層はファミリーオフィス、ワンハンドレッドパートナーズを運営している百武資薫氏にこんな相談を持ち掛けてきた。この富裕層は、起業した会社を上場させた後に売却したことで、300億円超の資産を保有する超富裕層。6年前、一家4人でシンガポールに移住していた。

なぜ、移住したのか。一言で言うなら「相続税の節税」だ。というのも、日本の相続税は世界的に見てもかなり高い。税率は相続した資産に応じて10〜55%、その資産が大きくなればなるほど税率も高くなる。この富裕層の場合、半分以上は相続税で持っていかれてしまう。

そこで、富裕層の間で流行ったのが、いわゆる「資産フライト」だ。簡単に言えば、相続税がない、もしくは税率が安い国に資産を移転させ、相続税をゼロ、もしくは軽減させるというものだ。中でも相続税や贈与税がなく、そこそこの都会で日本人にも住みやすいとされたシンガポールは人気だった。そこで子どもに資産を相続したいと考えていた富裕層も、移住を決断したわけだ。

ただ1つ、大きな問題があった。それは、「海外居住要件」の存在だ。相続税は、一定期間、海外に住んでいれば、海外に保有する資産に対しては課税されない。ただ、そのメリットを享受したければ、資産をフライトさせた上で、相続人と被相続人ともに一定期間、海外に住んでいなければならないという条件があるのだ。それまで、その期間は5年だった。ところが、2017年になって突如、期間が「10年」に延期されてしまい、冒頭の富裕層は百武さんに相談したのだ。

いくらシンガポールが住みやすいといってもそこは外国。気候も違えば、物価も高い。「移住した当初こそ昼間はゴルフ、夜は高級クラブなどで豪遊していたかが、それもしばらくすれば飽きてしまう。また妻や子どもも生活になじめず、精神的にまいってしまった。もう少しだけ我慢すれば、日本に帰ることができると思って我慢していたのだが、それも限界だ」(冒頭で紹介した富裕層)

つまり、海外居住要件の延長は、資産フライトさせた、もしくはこれから資産フライトしようとしている富裕層をあきらめさせ、相続税を徴収しようという“租税強化”の一環だったのだ。こうして我慢しきれなくなった富裕層たちが今、移住先のシンガポールや香港などから帰国し始めている。

富裕層を狙い撃ちする政府

それでなくても、ここ数年、政府は富裕層を狙い撃ちしている。

まず14年、海外に5000万円を超える財産を保有する個人に対し、「国外財産調書」の提出を義務づけた。15年になると、海外に転出する富裕層を対象に、資産の含み益に対して所得税を課税する「国外転出時課税制度」、いわゆる「出国税制度」がスタート。出国時に日本で課税し、租税回避を防ぐのが狙いだ。

翌16年には、その年の所得が2000万円超、その年の年末の財産が3億円以上、または有価証券などの金額が1億円以上の場合、財産や債務の中身や金額の提出が義務づけられる「財産債務調書制度」が創設される。極めつけは、18年から導入された「金融口座情報自動交換」、通称CRS(共通報告)の開始だ。これは、経済協力機構(OECD)各国の税務当局が、非居住者の金融口座情報を自動的に交換する制度。海外にフライトさせた資産に目を光らせるもので、日本も18年から年1回の交換をスタートさせた。

これらは、いずれも富裕層の資産内容を詳細に把握し、脱税や租税回避といった“税金逃れ”を許さないという強烈な意思の表れだ。財政的に厳しいのはどの国も同じ。しかも経済がグローバル化する中で、「徴税強化」は世界的な潮流となっている。

フライト資産を日本に持ち帰る方法

こうした中、百武さんのようなファミリービジネスを展開している人や、富裕層の資産運用をアドバイスしているプライベートバンカー(PB)などのもとには、ここ最近「フライトさせた資産を、できるだけ徴税されない形で日本に持ち帰りたい」という相談が多数寄せられているという。

このうち、あるPBは、「資産を持ち込むには2つの方法がある」と明かす。

そのうちの1つが、いわゆる「地下銀行」だ。これは、銀行法等に基づいた許認可を得ずに、不正に海外に送金する業者のこと。通常、海外送金には本人確認書類などが必要だが、地下銀行であればそうした“証拠”になるものは不要で捕捉されにくい。だが、当然のことながらこれは明らかに違法。発見されてしまえば逮捕されてしまう。

そこで、あるPBがこっそりと打ち明けるのが、事業融資を使った送金だ。このPBによれば、ある日本人が中近東地域に設立した会社があるという。この会社は、世界中に支店と銀行口座を持っていることがポイントだ。

まず富裕層は、シンガポールなど住んでいる国から、この会社の中国などの支店に「事業資金の融資」という形で送金する。融資であれば大金であっても違和感はなく、税務当局の目にも留まりにくい。そしてその後、支店を通じて資金を手元に入れたこの会社が、再び「事業資金の融資」として日本に戻った富裕層に送金することで、日本に持ち帰ることができるというわけだ。

もちろん手数料はかかる。例えば10億円持ち帰ろうとすると、この会社と仲介人とに合わせて2億円程度支払う必要があるという。確かに持ち帰ることができる資産は減るが、「税金を取られることを考えれば安いものだ」(PB)。

このように、フライトした資産を日本に持ち帰るために富裕層たちは悪戦苦闘している。ただ、冒頭で紹介した百武さんは次のように語る。

「資産フライトしたり、フライトした資産を日本に持ち込もうとしたりしているが、大きなストレスを抱えたり、リスクを冒したりしなければならない。それであれば支払うべき税金は支払って、気楽になった方がいいのではないか。そもそも富裕層は多くの資産を持っているのだから少し運用したり、稼いだりすればいい。そちらの方が、精神的に穏やかな生活が送れるのではないか」